ひとり旅プラン一覧
286件のプランが見つかりました!
#02 リニア見学センターを見つめる
2025/01/11
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山梨県都留市「道の駅 つる」は 地元農家との強い絆で生鮮品特売所や 「富士湧水ポーク」をつかったレストランが好評を博すほか さまざまな体験教室の開催や近隣の「山梨県立リニア見学センター」との連携など 楽しみがいっぱいです。
#01 大自然に囲まれたRVパーク旅
2025/01/11
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- アクティブ
- のんびり・まったり
山梨県小菅村「道の駅こすげ」を訪問。車中泊ノウハウや 地域特産品、スタンプラリーや地元グルメなど 「道の駅」の過ごし方について 全国「道の駅」を完全制覇したライターの浅井佑一さんの指南でご紹介します。
#51 神話のふるさと
2025/01/10
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- 歴史と伝統
出雲神話が根付く日御碕(ひのみさき)に立つ温泉宿は、水平線に沈む夕日、昇る朝日、風光明媚な「出雲松島」を望む絶景とともに、出雲国誕生へとつながる石見神楽の鑑賞、神様に献上する食事を模した神饌朝食など、当地の伝統や文化が心に響く特別な場所。
出雲神話が根付く日御碕で神々との滞在
2025/01/10
- 厳選宿 1名1室プラン
出雲神話が息づく日御碕(ひのみさき)に位置し、朝日・夕日を望む絶景の宿。刻々と変化する海の彩りをお部屋から眺めたり、日本海を望む温泉での湯あみなど、ゆったりした自分だけの時間を過ごせます。
#05 芦ノ湖畔に咲いた奇跡の花
2024/12/20
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岩崎小彌太男爵の別邸跡、当時の面影を色濃く残す1948年創業のクラシカルリゾート。「富士山と芦ノ湖の見えるところに温泉は出ない」のジンクスをくつがえし築かれたリゾート内には、ツツジやシャクナゲが咲き誇る。(敷地面積:4万5千坪)旅人:杉田 友里
#04 洗練され続ける箱根屈指の名門リゾート
2024/12/20
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- 歴史と伝統
開業から60年、箱根仙石原で限りない数のゲストたちを喜ばせてきた名門ホテルは、広大な庭園に囲まれ、和と仏の融合「フレンチジャポネ」の薪火料理や、露天風呂付き客室、ドッグフレンドリールームなど、他を寄せ付けない贅沢な時間・サービスをご紹介。(敷地面積:1万5千坪)
狩野川が見守る極楽浄土の旅空間
2024/12/20
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- リッチ
- 女子的
- 歴史と伝統
清流・狩野川沿いに佇む、離れ7室の源泉かけ流し露天風呂付きの宿。すべての客室・露天風呂はそれぞれにデザインが異なり、料理も地元食材にこだわり抜いた妥協なしの\\\”伊豆づくし\\\”。この世の極楽と言っても過言ではない旅空間がここにある。(敷地面積:5千坪)旅人:近藤 智美
#50 心身を癒すラドン温泉
2024/12/20
- 動画
- リッチ
- 歴史と伝統
鳥取県の中央に位置する三朝(みささ)温泉に佇む温泉宿には、世界屈指のラジウム泉質を誇る名湯、楼閣のような個室料亭でいただく山陰の旬を集めた特選会席、ほど近い川沿いには仕切りのない名物温泉「河原風呂」もあり、心も体も癒される屈指の温泉旅を体験。(敷地面積:3千坪)
#47 伊勢志摩国立公園上空を舞うマダム・バタフライ
2024/12/20
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伊勢志摩国立公園内の一角に息づく孤高のリゾートでは、静と動、光と陰、さまざまに心をとらえるオーシャンビュー客室、伊勢近海にこだわった海鮮類に松阪牛の鉄板焼きなど三重県の粋を集めた夕食が用意され、蝶のごとくゲストたちをやさしく感動へと導いてくれる。(敷地面積:3万坪)
今こそ訪れたい平和記念公園と広島グルメ
2024/12/14
- Myジョワ
「ゼレンスキーはたいした男よのう」傘寿を迎える祖父母が涙を溜めた目で異国の大統領を称賛した。 大統領の「今のウクライナは原爆投下直後の広島に似ている。だが今の広島は見事に復興した。私は必ずウクライナを広島のように復興してみせる」という言葉に感銘を受けたらしい。寡黙な祖父母の見せた涙に、私は広島出身の祖父母を持ちながら、あまり関心を持ってこなかったことをちょっとだけ恥じた。 今回の旅のきっかけは自身のルーツ探しというべきか、大人の社会見学というべきか、ともかく私はその後1週間もしないうちに広島行きの新幹線に飛び乗った。 10月を迎えた広島市は、いまだ暑さの中にあった。もちろん最初に訪れるべきは平和記念資料館であろう。 使うのは路面電車だ。バリアフリーの最新型の列車が並ぶ中、ポツンとタイムスリップしてきたかのような古い車両がある。原爆投下を乗り越えた車両は5台、いずれも現役だというから驚きだ。当該車両がそれに当たるかは別として、私は順番を待ってその車両を待つことにした。古い車両の中は、使い込まれた金属の鈍い輝きに満ちていた。 以前平和記念資料館を訪れたのは修学旅行であったか。恐怖感に支配されていた当時と比べ、落ち着いて展示を見ることができた。展示内容が変わっていた気がするが、気のせいではなかった。2019年と2024年に大幅なリニューアルが行われているそうだ。 常設展に置かれていた日記、止まったままの時計、一面の焼け野原の広島市の写真。昔の人の達筆さには驚かされる。市民は突然の原爆で殺されたのではない。太平洋戦争末期のギリギリの生活と原爆投下、その後の長い後遺症との闘い。原爆は長い時間をかけて市民を蝕んでいったのだ。あの焼け野原で佇んでいる子は祖父だったかもしれない。後遺症で亡くなった子は祖母であったかもしれない。死んだものと生きのこったものを隔てるものはないだろう。市民は等しく8/6に人生を変えられてしまったのだ。 帰途はタクシーを使った。タクシーの窓から見えるのはビルばかりで青空までたどり着けない。人口100万人と言われる市民に、美しい公園、いまここにあるすべてが奇跡なのだ。まして、焼け野原からがれきを片付け、一軒一軒家を建て直し、街を立ち上げてきた世代にとって、あるいは戦火の中にある国の代表者として、現在の広島市の繁栄への想いはひとしおであろう。 横川沿いには小さな船が停泊している。あれは牡蠣漁ですかと問うと「さあ、知らんねえ。でもせっかく来たんじゃけえ、牡蠣料理は食べていきんさい」と言われた。 駅前で牡蠣料理の専門店に入った。広島湾での牡蠣漁はなんと16世紀にまでその歴史をさかのぼるらしい。味はもちろん美味だった。

